レベル100のオコリザル ゲームの楽しみ方のタイプの違い

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レベル100のオコリザルの話

僕のポケットモンスターデビュー作は「ポケットモンスター赤版」だ。おそらく自分に買い与えられた初めてのRPGであり、携帯機ということもあってものすごくハマったことを覚えている。

しかし当時は幼く、周囲の子たちよりもバカだったのか、RPGの進め方というものがわかっておらず、全然進められなかった。野生のポケモンとの戦いでも苦戦し、めんどくさいと思ってしまっていた。

みんながチャンピオンロード(ポケモンにおけるラストステージのようなもの)などの話題を話していても全く分からず、友達をまるで遥か高みにいる別次元の存在のように思っていた。

そもそもポケモンは子供向けのような風潮があるが、そこまで簡単なゲームではない。タイプの相性を考える必要がある奥深い戦闘や、自分で捕まえなければ仲間が増えないシステムなど考える必要があるポイントが多い。だからこそ面白いのだが当時はついていけてなかった。

レベル100バグ

そんな時友達と遊んでいると、レベル100のポケモンを大量に持っている友達がいた。どうやったのかを友達に聞いても自慢するばかりで教えてくれなかったが、とてもうらやましかった。あのポケモンがあれば僕でもゲームを進められるのに・・・。

レベル100のポケモンを大量に持っていると聞けば僕と同世代のポケモントレーナーなら、だれもがその理由を知っていると思う。

このゲームには多くのバグが存在しており、ポケモンのレベルを100に一瞬にしてアップさせるバグも存在するのだ。友達はその技を使っていたということだ。

というかあの時の子供たちは、どこでそんなバグ技を見つけてくるのだろう。僕以外の全員が知っているんじゃないかと思うほど、だれでも知っていたことを覚えている。

しかもこの技は手順がそこそこややこしい。レベル100にしたいポケモンを一番前に持ってきて、アイテムの七番目でセレクトボタンを押してなんたらかんたらしたり・・・あまり覚えてはいないが、こんなややこしい手順を覚える小学生のゲームへの執念おそるべし。

当時の僕もレベル100のバグ技の存在を何かで知ったのだが、やり方がわからないのでその友達に懇願すると「しゃあないから1匹だけやったるわ」となんだかとってもイキって言われたが、ポケモンをレベル100に上げてもらえるのならば、この頭いくらでも下げさせていただきます。

最強のオコリザル

そしていよいよ念願のレベル100のポケモンが手に入ることになるのだが、僕はどのポケモンのレベルを上げるか考えていなかったので、どのポケモンのレベルを100にするか悩んでいると友達が「もうこれでいいやろ」となんとなく捕まえていた「マンキー」を使って勝手にレベルを上げ始めた。

「マンキー」は猿と豚を融合させたような見た目で常に人気がない。人気があったことがない。と思う。

こんなポケモンをのレベルを上げられても・・・と思っていたが、上げてもらうという立場やその友達との上下関係の都合上「別のポケモンにして」とは言えなかった。

友達がバグ技を使いみるみるレベルが上がっていく僕のマンキー。進化形態である「オコリザル」への進化も果たし、レベルアップが終わるころには過剰なドーピングを受けた「レベル100のオコリザル」が誕生していた。

ポケモンに急激に飽きる

めちゃくちゃ嬉しかった。マンキーなんて・・・と思っていたがレベル100になり、圧倒的な力を得た「僕のオコリザル」は本当に強かった。試しにそこらへんにいる野生のポケモンと戦ってみると、当然一撃で倒せる。ポッポなどにメガトンパンチを食らわすとHPのバーが一瞬で消滅した。これはいい。

友達と遊び終わり家に帰った僕は、ポケモンをプレイしまくった。今まで苦戦していた相手も一瞬で倒せる。その辺にいるトレーナーも僕のオコリザルにかかればただのサンドバックだ。ジムリーダーにも苦戦せず進めることができて、すごく楽しかった。

しかし僕はポケットモンスター赤版をクリアしていない。なんだか急に飽きてしまったのだ。

なんの苦労もせず手に入れたドーピングオコリザルを使った攻略は、もはやゲームではなく作業なので、飽きるのも無理はなく、僕はポケモンのプレイを終了し、ドラクエモンスターズをプレイし始めたが、この出来事以来「オコリザル」に対して妙な親近感を覚えている。別に好きじゃないけど。

オタクとリア充

ポケモン剣盾の発表もあり、最近こんなことを思い出していたのだが、ふとレベル100のポケモンを大量に持っておきながら飽きることなく遊んでいる友達のことを考えた。彼はなぜ飽きなかったのだろう。

僕が思うにゲームの楽しみかたのタイプが異なっていたことが原因だと思っている。僕はゲーム自体を楽しもうとするタイプだったのに対し、彼はポケモンというゲームをあくまでもコミュニケーションツールとして使うタイプだった。ポケモンというゲームは当然、レベル100のポケモンが突然手に入るようにデザインされておらず、バランスが狂い面白くなくなるが、ポケモンたちの強さを友達にアピールしたり、対戦で勝つことでリスペクトを受けるために使っていれば、バランスなど関係ない。

どちらが良いという話ではないが、前者の方がよりゲーマーっぽく、後者はいわゆるリア充的な考え方だ。実際その後の学生生活は真逆になった。

これは今でも続いており、僕は毎日ゲームのことばかり考えて暮らしている。よかったのか悪かったのかはわからないが、あの時の圧倒的な力を持つ「レベル100のオコリザル」と一緒に旅をした体験はゲームを愛する今の僕の基礎になっている・・・ような気がする。

ちなみに名探偵ピカチュウにも出ている


レベル100なのだろうか。

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